創作内のリアリティは、「お約束」を飲み込む事で完成される。

創作に求められるリアリティの度合い

創作界隈の感想や批評として「リアリティがない」という批判がよく聞かれる。

それだけの燃料でそんな爆発はしない……とか、そんな大きな武器は現実的じゃない……とか。

ファンタジーやSFに対してそういう批評がされたりもする。

それって、どうなの? と感じるのは私だけだろうか。

 

SFとファンタジーのリアリティ

SFは、サイエンス・フィクションの略。

だから、多少は科学的な法則の延長線上に世界を置くべきかなぁとは思うけれど。

バック・トゥ・ザ・フューチャーに「タイムマシンの理論は?」と突っ込んだら話が進まない。

タイムマシンが出てくるなんて、リアリティがない! ってのは、本末転倒というかなんというか。

 

異世界転生もので、魔法のあるファンタジーの世界に転生して、そんな世界を舞台としている作品に対しても同様。

空気を、水素と酸素に分解して火をつけても、表現されている様な大爆発は起こらない。そんな表現にはリアリティがない。

ってのは、いやいや、そもそも転生なんてないよ! っとなるわけです。

 

魔法って、オーバーテクノロジーで、現実的な物理法則とその延長線上にないからファンタジーなわけです。

そこに、物理法則を後ろ盾にして「リアリティがない」が、的外れだと思うのは私だけではないはず。

 

ミステリーのリアリティ

推理小説やミステリーも、実際は鑑識や科学捜査が入って、犯人の形跡を見つけてしまうので、探偵が出しゃばる余地は本来ない。

でも、それじゃ全てが「科捜研の○○」になっちゃうから、色々と作者の都合のいい(探偵役の活躍しやすい)世界を作り出している。

密室は、解かなくても犯人逮捕しちゃうし(自白させればいい)、都合よく携帯電話が繋がらないという事も現実的には考えにくい。

そこにリアリティを持たせるなら、例えば、事件発生時に都合よく大規模電波障害や大規模災害でも起こす必要が出てくる。

でも、犯人にどうしようもない事象を偶然起こさせると、ご都合主義、リアリティがないって言われる。

だから、創作の実際では、「そういうお約束」が筆者と読者の間にあるのが常だと感じるのです。

 

読者が完成させる「リアリティ」

創作の中のリアリティは、読者が「お約束を飲み込む」事で完成される。

そういう意味では、読者の理解力や読解力、「ああ、この本の世界ではそういうお約束なのね」というある種の寛容さが求められる。

「リアリティがない」という指摘は、読者の想像力の拙さを露呈する言葉になりうる可能性がある。

もちろん、この場合創作側の筆力は一定レベルに達している前提ですけれど……

 

 

創作側に求められる「リアリティ」は、そんな「お約束」があった上でのこと、と考えていいと思う。

例えば、「この世界は魔法が普通の世界です」というお約束の上で、どれだけ没頭感や没入感を演出できるか、多少のご都合主義を補う勢いや作り込みができるかどうかが、読者の感じる「リアリティ」のあるなしにつながるのかなぁ~。

 

ただし、個人の感想です。

ええっと、個人の感想ですので、その点はご了承ください。

だから、自分の創作にリアリティを求められても困る!! という自己擁護や筆力の低さの言い訳に用いたいワケではありません。

上に書いた通り、没入感や勢いなどの筆力、その前段階での作り込みは重要だと考えていますし、それを追求する事は吝かではありません。

ただ単純に、ファンタジー作品に「リアリティがない」という批評を見た時の感想でした。

 

この記事の関連書籍、紹介書籍は、ファンタジーの世界設定用「お約束」や時代、風習などについて記載した本を。

シナリオのためのファンタジー事典 知っておきたい歴史・文化・お約束121

 

 

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